真田丸を観た。

昌幸の最後だった。

九度山で蟄居した晩年を面白く書けと言われても難しいとは思う。

11年を50分で描かれたためストーリーが駆け足で展開されて心に残らないものに

なってしまった感がある。

もっとも生きるか死ぬかの戦国の世に生きた一武将の死を視聴者に感動させようとは

あまり意図してないとは思うが

でもでも、やっぱり昌幸の軌跡を振り返って城や家族を守りながらの回想シーンを出して

丁寧に終わって欲しかったかなー

昌幸の死は絶対に泣くと思っていたのに泣けなかった。


秀頼の登場はまあまあよかった。




自分の作品でも舞台が救命救急センターなので死を描くことが多々ある。

どんな死がドラマチックか、よく悩む。

そもそも世の中にドラマチックな死なんてなかなかない。

戦死の様に何かを犠牲にするとかならまだしも

大概は、病院か自宅で突然死だったり完治することなく亡くなったりで

救命ボートに乗れない事を知り夫に抱かれながら死んでいくとか

ギャンブルに溺れたボクサーが再起をかけて試合して見事復帰したあと死んじゃうとか・・・

そんな感動的な話にはなかなかならない。

取材で医師に「心に残った患者はどんな患者でしたか?」と聞いてもこちらが望むような

ドラマのある話はほどんど伺えない。


作る側からすると泣かしてやろうと意図する。特に編集者はそこにこだわる。

大変なのは作家だ。特に救急での死は日常で、残された家族や死んでいく人間にドラマがなければ

感情移入できないし、ドラマなんかそうそう転がっているものではない。

監修の先生も仰っていたが、救急は事故や災害で意識が清明としない重症患者とかかわるため

その家の事情や家族の背景が否が応でも見えてくるそうだ。

患者を流れ作業で見ていくような他の診療科に比べると遥かに密接に感じる。



見ず知らずの人が死んで、その人は生前、人柄良くみんなに愛され偉業を成し

立派な人だったとしても

その人の為に涙は出ないのに「はじめてのおつかい」で涙する。

なんだかんだ第三者にまで響く死なんてやはり犠牲が無くては伝わらない気がする。

そう考えると人の葬儀で知らない人のために泣く、

泣き女って女優並みに演技力があるんじゃないか。



今日も心に刺さる語彙をう~んう~んと唸りながら命を削りながら考える。

血反吐を吐きながら原稿を書いて、描き終わった頃にペン軸がぼきっと折れ、絶命・・・


有りがちだしドラマチックじゃない・・・・・・




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