※今回の記事は震災の写真、表現がありストレスになる人もいるかもしれないので
 一応、閲覧注意。



ビッグコミックスピリッツ2012/12号に「相馬野馬追(そうまのまおい)2011」を

読み切りで描いた。

毎年7月23、24、25日に行われる相馬野馬追は相馬中村神社、

相馬太田神社、相馬小高神社の三妙見社の祭礼。

お行列はじめ野馬懸け(のまがけ)や甲冑競馬などが行われる。
KIF_0050
(画像は2004年の物)

自分はいつか野馬追を描きたくて2004年頃から車で数度福島に通った。

その話を覚えていた当時のスピリッツの編集長から声が掛かった。

この年の3月11日に起きた東日本大震災の震災復興祈念作として

野馬追をスピリッツで描くことになった。


亡くなった人も大勢いてさらに原子力災害区域の小高町などは警戒区域にも

なっており震災の年の野馬追の開催は危ぶまれていたが、

鎮魂と復興を願い祭祀をかなり縮小して行われる事となった。

自分は当時、コミック版相棒を連載しており、取材はライターさんと編集長だけと

いう話しだったが、結局自分も行くことになった。

2011年7月23日、東京駅から東北新幹線やまびこに乗り仙台へ。

震災の影響で常磐線が一部不通で仙台まで行って迂回しなければならなかった。

元来、取材は好きな工程だが、この取材に関しては出発する前日から気が重く

出来ることなら行きたくはなかった。

関東と言えど自分も被災しており震災で受けた心理的苦痛が大きかった。

当時は津波の映像が流れるたび涙が出た。

また計画停電の影響で駅もスーパーも暗く、家にいるのも落ち着かないので

犬の散歩ばかりしていた。

大きい余震が四六時中ありそんな状態の中、震源に近いところに行くなんて

もう憂鬱でしかない。

新幹線の車窓から所どころ青いブルーシートのかかっている家々が目に映る。

仙台に近くなるほどその件数は増えていき、気持ちもどんどん沈んでいった。

PIC00023

仙台到着後、先にタクシーで福島入りしたライターさんを追いかけ

自分はレンタカーで向うも間に合わず、そのまま仙台のホテルに向かった。


翌日、編集長と合流しライターさんと3人で相馬太田神社へと向かう。

途中の国道は中央分離帯から半分無くなっており、遠くに見える電線は

ドミノの如くなぎ倒されており、黒い袋の土嚢のようなものや瓦礫が

所どころ積まれている。車の運転をしていた為そういった写真は撮れなかった。


7月24日は本来ならひばりヶ丘祭場までお行列があり神旗争奪戦など色鮮やかな

陣旗や軍旗、指物を翻した甲冑姿の侍、颯爽とした馬鎧を身に着けた

元サラブレッド達で盛り上がるのだが、一切それはなく

太田神社では鎮魂のための例大祭のみが行われた。

PIC00059

その後、車で烏崎(からすざき)海岸へ向かう事に・・・

烏崎海岸を初めてみたのは朝焼けの美しい瞬間で本当にきれいな海だったのを

今も覚えている。

その変わり果てた地形、陸地に上がっている漁船、堤防沿いにあった

家々は一つも残っていない。強大な津波の力で圧し崩された堤防と

不自然な場所にある大きなテトラポット。赤いスプレーで書かれたバツ印・・・

その光景を目にしたら感情がこみ上げて来て涙声にしかならなかった。

皆、声を失ってた。

PIC00094

PIC00091

PIC00090

PIC00088

PIC00086

PIC00085

PIC00096
この写真の奥に見えるのは、火力発電所。小さくて見えにくいが

瓦礫がたくさん積まれている。原子力発電所はここからは見えない。

今この記事書いてる間もキツイな・・・


その後、相馬中村神社まで足を延ばし震災で野良馬となった馬たちを見た。

PIC00152

PIC00156

ここには馬の他にも保護された動物たちがいた。

野馬追の馬は、多くは引退した競走馬で昔、私が取材した時はみんな本当に

可愛がっており馬肉は食べられないという方もいた。

多くの動物たちも津波にのまれて死んだが、こうして命からがら

助かった子達もいて唯一癒された瞬間だった。






次回は以前の取材で撮った(フィルムカメラの写真)烏崎をアップしようと思う。

(つづく)