今日は新幹線から富士山がよく見えた。
緊急事態宣言出てるけど、まあまあ人が多かった。
伯父のお嫁さんが亡くなった。
伯父ももう数年前に亡くなっているが、何だか昨年から不幸続きだ。
亡くなった伯母さんは優しい人でとっても働き者だった。
嫁ぎ先は祖父母がいて人の集まる家だからじっとしている暇がない事は
確かなのだが、よく気が利くし人当たりもよく怒ったところも見たことがない。
とってもいい最期だったので、生前たくさん徳を積んだのだろう。
ただ眠っているかのような綺麗な死に顔だった。
通夜の席、菩提寺のお坊さんがとつとつと話しを始めた。
説法かなと思ったけど、様子が違う。
時折こみ上げるように涙声になり
地方の小さなコミュニティの中で伯母とのやり取りが日常だったことを
独り言のように話す。
私は頭の中で伯母の姿や声を想像しながら聞いていた。
ああそうだな、そんなこと言いそうだとその日常を切り取った一コマを
想像するだけで哀しい気持ちよりもほんわかとした気持ちになった。
父が亡くなった時もこのお坊さんがお経を読んでくれたが
その時とはだいぶ印象が違った。
それにしても葬式でしか会わない人ばかりで
自分も含め周りは確実に歳を取ってることを実感する。
それと同時に死に一歩一歩近づていることに恐怖する。
今の年齢だって何かしらの疾患があったらもう十分死ぬ歳だ。
死に痛みがなければ受け入れる、とかいうアンケート結果が昔あったけど
ほんとそれだな。
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