こやすのうつぼの思う壺

今日一日の自己満足を綴るブログ

カテゴリ: 相棒

実際に存在した人物や出来事を描くとき

小説や漫画では史実と異なる創作したストーリーが盛り込まれることがあるが

学習図鑑には、人物であればその人の生来の性質をなるべく史実や

日記から読み取り忠実に描こうとする。

シナリオも作画も目標は同じなのだが、なぜかシナリオは出来事には忠実なのに

キャラクターがこれじゃない感がままある。

主人公が例えば勝気な性格であれば、ボスキャラが目の前に現れ

「そこをどけ」と言われた後すごすご道を開けたりしないだろう。

私なら胡坐かいて「どかっ」と目の前に座るぐらいのキャラにする。

それが噛み合わないとセリフまでおかしくなるし

史実と違う人物にしか見えなくなってくる。

もっとこうすれば面白くなるのにっていう事がよくあるし、

自分ならこの部分よりこっちの部分が知りたいってなる。

折角シナリオがあるんだから素直に描きたいが、こうじゃないんだよなと思うと

とたんに描きたくなくなってしまう。自分が面白い方がペンは進む。

しかしあまり変えすぎてもシナリオ描いた人に悪いって思いがあり

全くネームが進まない。



余談だが、まあ、今だから言うが相棒のコミカライズは

1巻が初版はテレビ局が「原案」となっているが、

それ以降は「原作」となっている。

テレビ局側からの話では、杉下右京と割烹屋の女将のたまきが元夫婦であるが

着かず離れずしていて、薫と美和子は普通の同棲カップルで

そこはドラマ通り頼むよ、と言う約束で出版社からは漫画のストーリーは

ある程度いじって良しと言う話だった。

テレビの矛盾点は今のところおかしくないか?と疑問に思っても

多くの人はVTRに録って検証したりしないが、

漫画だと簡単に読み返しが出来てしまう。

そういう部分が矛盾しないように漫画では描く必要があったし

ドラマは連続した視覚からエピソードなり情報を流せば簡単に説明ができるが

漫画はそうはなかなかいかなかったりする。

セリフで説明する必要があったりする。

それで「原案」だったと思うのだが、

ある日脚本家サイドからあまりにもストーリーが

違い過ぎると「原案」を「原作」にしてくれと言うクレームがあり

2刷からは原作となった。

私から言わせてもらえば、ドラマと漫画が違い過ぎて嫌なら原案と言う説明の方が

よくね?と思うのだが、どうなのそれ。




自分も曲がりなりにも漫画家と名のる以上ストーリーやキャラは

作り、より面白い方に気持ちが傾くわけで今回の仕事で自分はやはり

シナリオのある仕事は性に合わない事がよくわかったよ、って話。

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夢見12月7日まで見れるよ。













『病室で念仏を唱えないでください』が出来るまで。



いろいろ取材を受けた際に話してきたので今更感があるが、

漫画タイトル然り、とても長い経緯があり描こうと思って

温めてきた作品ではない。

2007年にビッグコミックオリジナル増刊号で描いた「M.D.」という作品が

前身といや前身で「あおば台病院」という病院名はここから取った。

それでもって「M.D.」というのは、どういう作品かと言うとやっぱり救急医の

話で、一旦サラリーマンとして働いていた人間が

おじさん研修医となり癖の強い救命救急センターで働くという話なのだが、

この話、実はさらに遡ること2、3年前に描いたネーム(漫画のラフ画)だった。

当時の副編集長が捨てずに大事にとっておいたようで急に描かないかとという

連絡が当時の担当編集さんからあった。

ちょうどその時私は女性誌の「YOU」でこれまた救急医の連載を

始めたばかりだったが描かせてもらえるならと、まず女性誌に許可を取り

押し入れの奥に眠っていた「M.D.」の古いネームを探し出し

オリジナル増刊に30ページの読み切りを描いた。

しかしこの作品がいろんな方向に功を奏した。

人生、一寸先は何が起こるか本当にわからない。

このオリジナル増刊で自分の描いた「M.D.」と他二作品の中で

続編が読みたい作品はどれかという読者アンケートでトップを頂いたと聞いた。

ただしこのアンケートの結果は、増刊号だしすぐには出てこない。

その間にこの「M.D.」を読んだスペリオール編集長から

「相棒」コミカライズの大きな話が舞い込んだのだった。

「M.D.」続編を考えてくれていた副編には申し訳なかったが

人気ドラマだし原案付きだし、キャラは出来ているし

このビッグウエーブに乗らない手はない。

当時は映画の宣伝の為のもので1巻で終わるはずだったが、

ドラマは徐々に視聴率を伸ばして空前の大ヒットとなり関連商品が売れに売れ

あれよあれよと12巻まで続いた。

しかし、そう言った利権が絡むと映像会社とテレビ局との版権やら

いろんな問題で度々ごたついたのと

売れない雑誌の生き残りをかけた改編であえなく終焉を迎えざるを得なかった。

連載が終わった後のことなど全く考えてなかったし、完全にバーンアウト状態で

進まぬペンにイラつきながら最終回までのらりくらり描くしかなかった。


そんな折、「M.D.」を描かせてくれた副編がビッグコミックの編集長となり

連載が終わるならうちで医療物を描かないかと声を掛けてくれたのである。

ところが、それはそれでとっても複雑な気持ちだった。

この相棒を描いている最中、女性誌のYOUでも「誰にも等しい明日」という

救急医療物をずっと描いていた。

単行本は1巻しか出してもらえなかったが、実際は単行本4巻ぐらいは描いており

自分の中で描き切った感があった。

医療物が好きなのではなく、生かすか死なすかの駆け引きがあり

所見や検査データで病態や異状のある部分を明らかにしてゆくのは単純に面白い。

ただ症例を探したり考えたりするのは大変だし、調べるのにも相当時間が掛かる。

今だからSaO2が何なのか、除脳硬直が何なのか医療者ほどの知識はなくとも

理解できるようになったが、まだ最初の頃は症例読むだけで始まりから終わりまで

検査値やアルファベットでの略語など用語を調べ

ストーリーの中で表現はしなくともこの病態になるとどうして他で合併するのか

敗血症とSIRS 違いは何なのか自分が頭の中で納得、理解するまで

作画は先に進めない状態だった。

何よりも毎回ゲストとなる患者の設定を考えねばならなく、生死がストーリーを

左右するため男にするか女にするか老人か子供か職業は何か家族はどうするか等

自分で取り決めるのだがそれが途方もない労力なのだ。

下描きになってまで悩むことは多々あるし、

ペンが入ってから丸々直すこともよくあった。


そういった経緯があり医療物は苦労するのが目に見えているので

生活しないとならないという現実と、でも出来れば描きたくないという

気持ちの葛藤が大いにあった。


当初、編集長との打ち合わせで話があったのは先述の「M.D.」の続編だった。

ネームを描いた当時は、単におじさんが研修医って面白いと思っていたが

打ち合わせのちょうどその頃、フジテレビでサラリーマンだった人間が

医師になったというダダ被りのドラマを始めようとしており、

ネタはこちらが明らかに先だが真似と思われるのが嫌だよね、となり

その話はなくなった。

次に緩和ケアの医師の原作付きをやろうという話が出たが、これもうやむやの内に

無くなった。相棒の連載もまだ続いており、

忙しい中何度も編集長と打ち合わせたがなかなかこれと言ったアイデアはなく

しまいには、相棒のスピンオフで米沢の事件簿もビッグコミックで

漫画にしたのだがこれの続編をやろうか等の話まで出た。

当然、また権利関係で揉めるのが明らかだったので

この話はすぐ無くなったのだが。

そうこうしているうちに担当が付いて初めて3人で打ち合わせをした日、

まーとにかくいろいろな話をしたのだが、医療物を描くことは確定しており

あとはどの分野にするかとか主人公をどうするかだの

いろいろ話を摺り寄せるのだが

これと言った決定打もなくだらだらと時間は過ぎていった。

その時何かの話の中にたまたま編集長が取材されたお坊さんの話をされた。

何の気なしに聞いていたのだが、待てよ・・・医者が僧侶なら面白くね?となり

お坊さんでお医者さんっているんですかね?と話の腰を折って割って入った。

すると急に僧侶の話で盛り上がり、葬式仏教しか知識のなかった自分は

人の死を弔うための僧侶が命を救う医師なら面白いと直感したのだった。

少し光明が見えてきていろいろ調べていくうち僧医の歴史に辿り着き

理に適っていたことが分かった。

また取材を重ねるとお坊さんで医師はあっちこっちにいて自分の中では

その存在自体は特別なものはなく当たり前なものに思えるようになってきた。

こうした紆余曲折を経て出来た作品だが、案の定やっぱり苦労は多かった。

医療の知識だけではなく仏教の知識も必要となり、

髪を掻きむしりながら描いていたし

主人公・松本照円も全く動かぬキャラで苦労した。

よくモデルはいるのか聞かれるが、モデルはいない。

でも、いたらたぶんもう少し楽だったかもしれないなぁ。

むしろ、濱田や藍田のようなひねくれている性格の方が人物は描きやすい。


しかしもうそう言えるのもラスト1話になった。

本当なら六道の6巻で切りよく終わりたかったが、映像化の話が入りそうも

行かなくなってしまった。

取りあえず頑張るべ。

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結局完徹やん。ちょっと眠くなってきたわ。
























皆さん、間近で芸能人と話をした事はありますか?


自分はまだ子供だった頃、初代・林家三平さんに握手して貰った事が

あるくらい。あとは笑っていいともでタモリにインコみたいだねと

話しかけられたぐらいしかない。


芸能人と話すどころか会える機会すら滅多にないから

会えるとしたらコンサートやライブ、手っ取り早くテレビの収録や

生放送の観覧、その後の出待ち程度のものだろう。

でもそれだとちょっと遠い。距離がある。

舞台公演を観に行くとそれを観に行く芸能人と意外に遭遇しやすい。

劇場の中やその周辺で『あッ!あの人や』ということがしばしば。

かといって声を掛ける訳でもなくただ通り過ぎるだけ。

明らかにプライベートだし自分から声を掛けるのは難しいし

ファンでもないのに「ファンです」とも言いづらい。



以前、ブログにコミック版相棒を描くきっかけとなった話を書いたが、

その当時は劇場版相棒の話をそもそも漫画にする案もあった。

その為、映画の台本も貰っていたが、何だかんだ過去の放送の

コミック化となった。

その際コミック版相棒の第1集の巻末にオマケ漫画を描いて欲しいと

いう話が東映さんから来ていて発刊前に東映撮影所取材となった。

当日は、ドラマのクランプアップの日で水谷さんも寺脇さんも

いると聞いて大緊張の中、大泉の駅で差し入れ片手に

小学館のマルチメディア局のAさんと担当編集Mさんと待ち合わせた。

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撮影を見るのが初めての上、あ、あの水谷豊を生で見れるなんて、と

膝がガクガク震えるわ、声は上ずるわ、

今にも心臓が口から出そうな状態で

撮影所まで行くと、不意に目の前に

当時のテレ朝のチーフプロデューサの方とか他のスタッフの方に紛れて

これから撮影するらしい水谷さんとバッタリ鉢合わせてしまい、

もう頭の中が真っ白になった私は後ずさりながらMさんの陰に隠れた。

その様子を冷たい目で見ていたAさんが

「何、変な生き物みたいになってんだよ」と嘲笑したが

耳に入ってこない。

そりゃあんた方は芸能人慣れしてるかもしれんが、

話するなんて聞いてなかったわ。

そっと撮影を見守り、特命係の写真撮るだけだと思ってたんだよ。



しかし、話はそれだけでは終わらなかった・・・



水谷さんにろくに挨拶もできない女と思われたに違いないと

ネガティブな思考のままスタジオに入るとすぐに

角田課長役の山西惇さんがいて

生で「暇かッ?」って言ってもらって嬉しかった。

さらにその奥に撮影スタッフの頭一つ出た形で寺脇さんがいた。

メチャクチャかっこいい。

水谷さんが撮影の間、組織5課のソファーで寺脇さんと少し話が

出来た。

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「昔、漫画家になりたかったんだよ」という話から

当時読んでいたマンガの話までさせて頂いた。

撮影が終わり、相棒ガイドブックのカメラマンに交じって

我々も特命係の撮影をして無事帰るかと思いきや

食堂でお茶しませんかとなった。もちろん水谷さんもいらっしゃる。

途端に緊張した。メチャクチャ眉間にしわ寄っていたと思う。

スタッフの方もいるし、AさんもMさんもいるし

大丈夫、大丈夫と心に念じながら食堂へ移動。

最悪なのはここからだった。

確か、その場には水谷さん、自分の他に5人いたと思うのだが

飲み物を注文しに蜘蛛の子散らしたように

皆いなくなり自分と水谷さんの二人っきりになってしまったのだ。

何を話せばいいのか、全く何も用意していないというか

焦りと緊張で本当に頭の中が真っ白になってしまった。

もっと困ったのは水谷さんの方だろう。

全く異業種の人間に何を話せばいいのかわからないに決まっている。

自分は自分であたふたとして変な生き物全開だ。

「熱中時代」観てました・・・北野先生好きでした・・・

と言うのが精一杯だった。

みんなが戻ってきてからは普通に相棒の話もできたのだが

本当にあの時ほど肝を冷やしたことはない。

あとからテレ朝の映画宣伝部の方が、AさんとMさんに

彼女を一人にするなんて、と注意してくれた。

変な生き物だなんだと言われたが、

結局AさんもMさんも緊張していたんじゃん?

そりぁ緊張もするよね、あれだけの大物俳優前にすりゃあ。

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あたちの太い足が写ってるけど勘弁してね


それ以降、打ち上げで水谷さんにお会いしたが、

あの時ほどの緊張はなかった。



次回は六角さんと川原さんと飲んだ話を書く。







相棒 pre season DVD-BOX
水谷豊
ワーナー・ホーム・ビデオ
2006-10-06




昨日、Yahooニュースで俳優の志水正義さんが亡くなった事を

知って驚いた。

あの「相棒」シリーズ、警視庁組織犯罪対策5課で角田課長の部下の

大木長十郎役で同じく5課の小松真琴役の久保田龍吉さんと

特命係をちらちら覗いてたと言えば誰もが知ってるだろう。



以前、東映の撮影所にお邪魔した時、こんな名も知れぬ漫画家に

「おつかれさまです」と声を掛けて頂いた。

緊張していた私は、頭を下げるしかできなかったが

その事はとてもよく覚えてる。

ご冥福をお祈りいたします。

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「ちょっとだけ歩み寄れそうになる変化」

こんな抽象的な物言いで丸投げしてどれだけ頭の中をもやもやさせながら

限られた時間を費やしていると思っているのか?

ヒントでもいいからエピソードは具体的に言って欲しい。前にも言ったはずだ。

そもそも建設的な打ち合わせがない。

毎回ストーリー作りに悩み苦労している事を知っていながら向こうから

現状をよりよくしていこうというの提案が未だかつてない。

ストーリーだけではなく医療のこと仏教のことを調べるだけでも十分時間はかかる。

心の動きも片手間では描けない。ない頭をフル回転してやってる。

そろそろわかってくれてもいいだろう。




以前、相棒(漫画版)での打ち合わせでの話。

相棒のプレシーズンからシリーズ3までの回で漫画にする話を

チョイスするのは編集者。ドラマ1本が漫画では3~5話の話作りとなる。

テレビ局との約束事はいくつかあったが、漫画は全てをドラマと一緒にしない

という出版社の意向で描いていた。

編集者は必ずドラマを見て漫画版の話が1本終わりそうな時に

次、何やるかを提案してくる。それに併せて自分もDVDを見るというやり方。


どの回か忘れたが、たぶん亀山の親友、浅倉が初めて出てくる話だったと思う。

うろ覚えで申し訳ないが、確かドラマでは特命係の2人は別件で

張り込みをしているところ、死体を発見し新しい事件が起こる・・・と言うような

感じだったと思う。

そこに出てくる女子高校生が、売春をしているという設定だったのだが、

漫画では、この女子高校生の登場の仕方を変え特命係の二人に追われる、

という話に打ち合わせでなった。

序で死体の発見の仕方はドラマに準じて・・・という感じだったが

それじゃ面白くないとなり、逃げていた女子高校生が血相を変えて戻って

くるって言うのはどうだろうとなった。

それを想像して編集者と二人大笑いしネタ採用となった。


打ち合わせとはそうやって両者の意見を摺りあわせて行うべきものではないのか。

もちろん、そんな充実した時ばかりじゃなかった。

意見が対立し険悪な雰囲気になる事も幾度かあったが、丁寧に話をすれば

すれ違っていたところも理解でき、最終的には

歩調を併せ作品を作り上げたという達成感になった。



出来たものに意見するのは、誰だってできる。

こっちの考えを超えてより良いものにしようと提案し作家の頭を

スッキリさせるのが編集者ではないのか。

それは私の無いものねだりなのか?






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読めます。(1巻無料)

単行本未収録のビッグコミック増刊号で掲載した相棒スピンオフ
鑑識・米沢守の事件簿
も無料で読めます。

eコミックストア








他人と共有する出来事で、自分は忘れているのに他人が覚えていると言う事は良くある。


少し前の話。

何年か前、ある会場でその場にいなかったBさんがAさんの記憶ではいた事になっていて

Aさんは「あの時、Bもいたよな」と話した。

Bさんと、その会場でAさんと一緒にいた私は

「いや、Bさんはその場にいませんでしたよ」とAさんに返した。

何だかややこしいが、Aさんは「いや、いや、Bは俺たちと一緒にいたよ!」と食い下がった。

それでもBさんと私は「いや、いや、いや、いませんって!」さらに食い下がる。

私とBさんの意見が一致しているのでAさんは「おかしいな~確かにいたのに・・・」と

いぶかしげ、納得のいかない様子だった。

まぁ大体、お酒が入っているし何年も前の事で記憶もあいまいだよねとその場は収まった。


そんな話をしたのは2か月前なのだが、その事を私の中では、すっかり忘れていた。

しかし先日何故か、新宿で取材した先の楽しかった思い出が深夜二時に急に蘇り、

それと同時に「いた、いない」事件の真相が鮮明になった。

Bさんは、所用でその場にいなかったが、その現場を後にした私とAさん、それにCさんが加わり

新宿のバーで飲んでいるところに所用を済ませ合流したのがBさんだった。

この記憶がAさんの中で一緒くたになってしまったのだろう。

記憶が繋がり、その夜降っていた雨が雪に変わっていたことまで思い出した私は喜々として

AさんとBさんにメールしたが、「そんなことあったっけー?」

と、二人にとって闇に葬られた記憶となっていた。


前置きが長くなったが、その取材先の楽しい思い出の中に、

上記の新宿のバーがあった。

そのバーは、ドラマ「相棒」がまだ土曜ワイド劇場と呼ばれている枠の二時間ドラマだった時に

出てきたバーだった。

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(普段、自分の漫画は読み返さないが、今確認したらコミック版相棒の2巻に入っている
 
 ストーリーに出てくる。)

基本的に取材は楽しいのだが、この新宿での取材が楽しかった。

正確には、同じくコミックスの2巻に入っている落語の話の回に末広亭が出てくるので

その末広亭での撮影取材だったのだが、劇中に出てくる花園神社や花園饅頭なんかも巡り

ドラマと一緒や~とか言いながら回っていた。

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そういえば花園神社近くの歩道橋はドラマのポイントになるのだが

放映時にはあった歩道橋は、取材時には撤去されて無くなっており

漫画では急きょ、ビルの非常階段にしたのを思い出した・・・いろいろ記憶が蘇る。

写真を撮りながら新宿二丁目界隈をぶらぶら歩く。

前述のバーは花園神社へ向かう道すがらで見つけ、真昼間だったので店は開いておらず

その時は外観の写真だけ撮った。

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その後、新宿中村屋でカレーを食べて帰ったのだが、たかがロケ地めぐりの取材だったのに

何故か楽しい記憶に入っている。


楽しい取材の記憶がもう一つある。

東銀座にある歌舞伎座の取材だ。今は建て替わってしまったが、建て替える前の旧歌舞伎座。

楽屋前やトンボ(前方宙返りして背中で落ちる)の練習場、

役者が実際に歩く順路で舞台下にある奈落のセリや

スッポンも直に見させてもらったり、煙幕は茶殻をいぶすと説明してもらったりした。

まだ午前の部の芝居がやっていて下手から初めて芝居を見た時は

何とも言えない感動があった。

客が引けてから男性にしか許されない花道を歩かせてもらったり、檜舞台から客席に向けて

立たせてもらい興奮したのが懐かしい。

あと、自分では買わない桟敷席からの写真も撮らせてもらった。

取材のためとはいえ歌舞伎を観に銀座も相当通ったが、歌舞伎座周辺は、

歌舞伎を観に来る芸能関係の人が多いので予期せずよく芸能人を見かけるので

それはそれで話のタネになる。


警視庁周辺で写真を撮っていると職質されないかな、とわくわくする。

江戸城を描くことがなければ縁遠い皇居で一般参賀に出向くこともなった。

ポーカーゲーム屋に客に成りすまして入って見たり・・・・・・

一生涯の内に経験できないことなど山ほどあるが、漫画の仕事を通じて

なかなか見られない内側を見たり聞いたりするのは好奇心と探究心が刺激され楽しい。

私にとって取材は漫画を描く仕事の中で、唯一の楽しみだったりするのだった。













相棒が来年また映画をやるらしい。

その公開に合わせて、もしかするとコミカライズの廉価版が出るかもしれないがまだわからないと

出版社から連絡があった。

まだわからないというのは、出演者のお二人がいろいろ問題になっているからなのだそうだが

まあ、コミカライズが契約では相棒のプレシーズン、シーズン1~シーズン3までなので

お一人の方とは直接関わっていないが、まさか漫画にまで影響があるとは思わなかった。


以前、ドラマの打ち上げに呼んでいただき会場に伺ったことがある。

確か、2度目の時かと記憶するが、寺脇さんの相棒が変わる時だった。

当時担当編集者のMさんが先に会場入りしていて、私は少し遅れてしまっていた。

寺脇さんが相棒卒業で次の相棒が最終回まで誰になるのか謎のままだったので

どこ行ってもその話で持ちきりだった。

打ち上げはその最終回の前に行われたが、当然次期相棒の方もお目見えするので期待はあった。

ようやく打ち上げ会場に着くと階段のところでMさんが迎えに来てくれていて

「ミッチーだよ!次の相棒、ミッチーだよ」とミッチーの紹介もまだされてない中、発覚するというね・・・


会場でお楽しみ抽選会があって、シーズン中のドラマの中のことがクイズになっており

それが抽選券になったと記憶する。

相棒の出演者の方が進行をやりながらテレビ局や出演者さん達からのプレゼントが

抽選でいただける。

Mさんは見事、例の女優さんのプレゼントをゲット!

中身はその女優さんも愛用されているという「柄の入ったふんどし」だった。

私ならその褌を持ってサインをお願いするところだが、Mさんはなんか嬉しそうではなかった。

Mさんがあのふんどしをつけたのかは、なんとなくいまだに確認していない。


余談ではあるが、相棒のコミカライズの話があった時、

まだ私が描くとは決まっていなかった。

ちょうど少し前にビッグオリジナル増刊に医療物の読み切りを描いた。

それが当時O編集長の目に留まり、出血シーンをリアルにドロドロに描かなかったことが

良かったようなのだが、相棒というドラマを知っていても表面的で右京と薫がどう出会ったかまで

深くは知らなかったので、ネットでいろいろ調べた。

そうしたらどう言う訳か、相棒のコミカライズの話はまだ世間に出ていないはずなのに

「漫画化になるらしいぜ、嫌だッ!!ふざけんな」とか「誰が描くんだよッ!許させねぇー!!しね」的な

コアなファンによる書き込みを目にし一旦断ろうかとも考えた。

バカ高な視聴率を叩き出しているわけではなかったが、当時から人気があって

漫画を描くことで反感を買われるのは自分でもいやだった。

しかし作品の面白さや私を買ってくれている編集さんのお陰でやってみようという気持ちが

強くなっていき、ネットは見ないようにして前向きに考えた。

テレビ局や映画会社は映画の宣伝のためのコミカライズとして

考えていたので単行本1集で終わりの予定だったが、お陰様でその後も描かせて頂けたし

米沢の事件簿というスピンオフまで描かせて頂けた。

人気の作品を描くという恐ろしさと楽しさを味わった作品だった。

相棒に関しては本当にいろいろあった・・・その話はおいおい出来ればいいかな。



















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