━━━あれは、忘れもしない2012年8月17日のことだ━━━
その年の4月に「相棒」の連載も終わり、
6月から「病室で念仏を唱えないでください」を描き始めた頃だった。
アシスタントには来てもらっていたが、
事務所として使っていた部屋は一旦解約することにした。
その前々日の15日、私はレンターカーを借りて不要となったデスクや椅子
照明など家電の片付けにひとり事務所へ向かった。
空はペンキで塗り潰したかのように碧く、真夏の暑さを助長するように
入道雲がいくつも連なっていた。
連日の猛暑で、熱中症で亡くなった人の報道ばかり続いた。
仕事部屋の3台あったエアコンは事前に取り外されていたため
蒸し風呂と化した部屋の中、汗でぐっしょりとまとわりつく服のまま
階段を行ったり来たりしながら荷物を車に積んでいった。
途中、お世話になった近隣の人たちと立ち話をしながらスポーツドリンクを
口にした。普段あまり汗をかかない人間だが玉のような汗がふき出す。
大した荷物ではないとタカを括っていたが、ワゴン車の荷台はあっという間に
いっぱいになり、その荷物を自宅でまた降ろすのかと暗い気持ちになった。
何だかんだ全てを終え、レンタカーを返しその帰路、アイスを買って帰り
すぐにシャワーを浴びた。
翌日16日は、娘が帰省し17日には二泊三日で四国へ旅立つ予定だった。
飛行機の搭乗が朝早いため、犬たちを16日にペットホテルへと連れて行った。
バタバタとした二日間だったが「念仏」の執筆もありぎりぎりまで
ペンを走らせていた。
ところが、午後10時を過ぎたあたりから右側腹が5分間隔ぐらいに
ちくっと痛みだした。わき腹が吊ったような差し込むような痛みだが
大した痛みではなく、気になる程度だった。
しかし、就寝につき徐々に痛みが憎悪、まさに七転八倒する痛みへと
変化していった。
朝4時。脂汗は流れ、居てもたっても居られず
それは耐え難い激痛で、陣痛をも軽く凌駕する痛みだった。
その痛みに我慢し続けたが、痛みは増すばかりで一向に収まる
様子がなく部屋のドアを何とかこじ開け、
私は娘の名を振り絞るように呼んだのだった。
<つづく>