痛みは徐々に強くなり、呼吸がはやく体も異様に重く歩けない状態だった。

何とか部屋のドアを開け渾身の声で娘の名を呼ぶ。

娘は普段、地震があっても起きてこないが尋常じゃない母の声で

早朝というのにも関わらず飛び起きてきた。

「右脇腹と背中にかけて激痛がある。ネットで何の症状か調べて」と言うと

娘はパソコンを立ち上げるのに寝室を離れた。

とにかく耐え難い痛みで、立ち上がることもできない。

次第に全身痺れるように感じ、「もしかしてこのまま死ぬのか・・・?」

という気持ちがよぎった。

いくらネットで調べたところで素人に病気の判断も出来る訳がなく

娘は救急車を呼ぶよ、と言った。

嫌だった。

サイレンなんか鳴らしたら近所の連中の注目の的だ。

生きて帰ったらあとで絶対何か聞かれる・・・それだけは避けたい。

「呼ぶならサイレン鳴らさず来て下さいとお願いして」と懇願したが

駄目だった。

と、言うのもそれの少し前に近所の家で救急車二台消防車一台が出動する、

PA連携があって近隣の住人のものすごい人だかりができたからだ。

かくいう自分も二階のバルコニーから見ていたのだが、

そこのご主人が白昼、家で亡くなっていて胸骨圧迫を繰り返しながら

救急隊が出てきた。

死の目撃者がいないことから家にも警察が来たが結局病死となった。

この時、絶対に家では死にたくないと強く思った。

打ち寄せてくる痛み中、そんな事を考えていると遠くの方で救急車のサイレンが

聞こえる。

いつもなら通り過ぎてゆくサイレンが確実に我が家へと近づき止まる。

実は救急車に乗るのはこれが初めてではない。

息子が熱性痙攣を起こして瞳孔が開き、泡を吹いたことがあった。

この時、心臓が止まるくらいに慌てた。

ドラマではないが「息子が死にそうだから早く来て!!」と電話口で

叫んだ。息子を背負い救急車に乗り込むとき、まだ娘はまだヨチヨチ歩きで

泣きながら追いかけてきた。

あの時は本当に大変だった。

息子は体が弱くて二度救急車のお世話になった。

その経験もあったが、当事者となると全く感覚が違う。



我が家の狭い階段を担架で下され、救急車に搬送されると今度は

ものすごい吐き気に襲われた。

「気持ち悪い・・・」というと何かビニールのようなものを

渡されたが吐かなかった。

この時、救急車はすごく揺れるんだと実体験に基づき

「念仏」に活かすことが出来た事は、プチ情報である。

病院につくと、当直の先生は循環器内科の先生だった。

どうやら当直は当番制の二次救急の病院だった。

「痛かったね」と優しくいってくれた先生。

すぐさま、問診とバイタルチェックが始まり輸液が開始されたが、

嘔吐が激しく、全く落ち着かなかった。

CT室へ運ばれ、ここで病態が判明する。



「尿管結石」だった。


世界三大激痛の一つ「尿管結石」

腎臓にできた結石が尿管を通るときとてつもない痛みとなる。

その原因は食べ物に含まれるシュウ酸カルシウムと言われるが

ストレスや様々な原因があるという。



確かに生活リズムは狂いまくっていた。


結局、座薬を入れられ、嘔気抑制の薬を打たれた。

少し落ち着いた頃、旅行は諦めましょうと言われ

さっきは虫垂炎で腹膜炎を起こした人が運ばれてきたが

その人はマチュピチュに行く予定だったと聞き同士がいたことに

少し心が落ち着いた。

入院することなく病院を後にしたが、丸二日飲まず食わずで

痛みと戦っていた。

痛み止めがなくなった頃、再びその病院に訪れたが

搬送された際のCT画像を見せられ、「まだ腎臓に一個あるね」

と、言われたときはさすがに顔が青ざめた。

しかしネットで調べると1回結石が通った尿管は少し広くなるようで

二度目はそんなに痛くないらしい。

そういや、その数週間前に尿と一緒に砂が出ていたことがあり

それが始まりだった可能性があるかもしれない。

その時は、暑い中、庭に犬を放しながら草むしりをしていて

犬がじゃれついてきた時に土がついたと勘違いしていた。

しかしながら、これが体調を崩す発端でその二か月後

また病院に駆け込むことになったのだが、ちょっと長くなりすぎたので

その話はまた今度。



とにもかくにも、暑い夏が来ると何故か脇腹が疼くのである・・・